不快でない という自然さ
建物の内部には気候がある ~インドア・クライメート
「人工の空間に自然を求める」
高度成長期には、(屋外の)気候は 「外乱」ととして、設備で制御するか、排除する対象だったんですね。
私たちの身体感覚はどうなのか。
建築は人工的なもの、でも自然と調和する建築に目が向けられています。
(一部で)
自然との調和・・・自然を求める。
でも、其の自然というのは
「吹き渡る風の涼しさであって、凍てつく寒さや蒸し暑さは排除すべき対象である」(P122 より引用)
この数ヶ月、窓を開け、ブラインドを閉じたり開けたり
少しばかり そう・・・ アクティブに 動いてみました、自室で。
そうゆう身体感覚、皮膚感覚。
不快でない程度の 自然な室内気候
人工建造物らしさの象徴、コンクリート!
でも 其のコンクリート は 太陽の恵みを蓄え
穏やかな室内気候の変動を生み出します。
LCCMまで行くと、私の今のキャパでは追いつかない。
まずは、第3の皮膚としての建築。
ドイツにはドイツの
日本は日本で。
その場でのせめて今は温度だけでも。それだけでも精一杯ついていくかどうか。
今の周辺状況
まだ残念ながら、不快でないことどころか 省エネもどちらも関心が薄い。
一方、ドイツパッシブハウス基準、高断熱高断熱化は進んでいる。
HEMSも。
建築家は 兎角 前面脆弱な 外皮を羽織って さあまさしく自然だよ というが
私はなぜか そうは思えない。
PassiveDesignの結果、省エネがそこに在る。
省エネは、目指す到達地点ではない
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